annてどんな人?短大編
棺を作る人…。
高校卒業後、絵に関する学校へ入学を希望していたが、
高校の先生や両親から「これからは資格の時代だから付属の短大へ行って栄養師になりなさい」と言われ、
なかば強制的になぜか短大で栄養師の勉強をする事となった。
授業は全くつまらなく、授業を受けずに帰ってしまったり、
授業に行かず短大の中の図書館で元化学の教師だった館長さんから化学の勉強を教えてもらったりしていた。
実験等はつまらなかったが、元素記号を覚えたりするのは楽しかった。
細胞の勉強をしている時も、「これをアートに出来ないかな・・・。」
と常に考えていた気がする。
短大生活の中でも絵に対する情熱はおさまらず、
はとこがやっている美大の予備校でデッサンのモデルのアルバイトをしたり、
展覧会に作品を出品したりと、作品作りに没頭していた。
この頃は、立体作品に興味があり学校が休みの日には、
朝から実家の芝生の上で棺作りをしていた。
ホームセンターで板を買って来て自分が入れる位の棺を作り、
中に石膏で作った人間を入れ全身を青色に塗り、造花を敷き詰めるのだ。
芝生の上でトンカン、トンカン釘を打ち付け、
棺を作っていると80代のお婆ちゃんが来て
「私の時も作っておくれ」と言って私の作業を見ていた。
私が「いいよ」と言うと笑って去って行った。
この作品は、造形専門学校のホールに飾らせて頂いた。
題名は「ヒロイン」誰でも死ぬ時は注目の的、
ヒロインになれると言う意味で作った。
私にとって死は、マイナスでもゼロでも無い、
次の世界への旅の始まりだと思っている。
しかし、展示が終わり家に持って帰ると、母が「こんなでかい物じゃまだから燃やしていい?」と言って庭で燃やしてしまった。
この作品の最後は、結局火葬という形で終わりを迎える事となった。
燃やしてから写真を撮っていない事に気づいたので、
展示会のパンフレットに白黒で残っているだけとなってしまった。
油絵も描いていたが、家族から「家の中が臭くて
しょうがないのでやめてほしい」と言われ、それから油絵を辞めた。
なかなか私の家族も、私のやる事には理解できなかったようで、
父親の口癖は「だからお前は変だと言われるんだ!」だった。
だが、「変」というのは、アートをする人にとっては褒め言葉だと思う。
「変」でなければ個性的な作品は生まれないのだ。
私は「変」と言われてちょっと嬉しかったのだ。
父よ私は「変」でけっこうだ!
annさんの略歴・もの考え方を端的にまとめてあり、非常に分かりやすいですね。
自分について客観視することが出来るのも一つの能力ですよ。
貴女のような方は珍しいです。Facebookの友達でもタイムラインや、自分につて隠す人が多いですからね。
有り難うございます。珍し、宇宙人ですか?、独特はどこへ行っても言われます。なぜだかは分かりませんが。私の文章を読んで何かを感じてもらえて嬉しいです。また、色々書きます!☺